ときには映画の話をしよう

 

映画のレビューというほど大それたものでもなく、映画を見て開いた記憶の引き出しの話をしようとおもう。映画の話に託つけた自分語りだ。映画にしても芸術全般の何に対しても、その手法に対して語る術を私は持ちあわせていないし、そこにはあまり興味がない。勉強をすれば話せるようになるのかと思いきや、結局人間に対しての興味だけが引き伸ばされてしまったようだ。

 

今日観た映画は「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」親しみのあるあたたかい絵を描くカナダの画家の半生を描いた映画で、説明的な会話は一切なく、ただただそこでの生活が流れていくのみ。素晴らしく私好み。映画好きの友人からオススメしてもらっていたにもかかわらず、数年間そのままにしてしまっていたことを後悔した。そう言えば私の祖母もリウマチだったなあ、なんて思い出しながら、重度のリウマチを患う主人公が懸命に生きていく様を眺めていた。旦那さんも奥さんも背中が丸いのが愛おしかった。2人の小さくて狭い家も寒そうな暮らしも、大変そうだが素晴らしく豊かに思えた。ささいな会話や行動だけで心が温かくなるほどの愛を交わしていた。

物語の終盤、また犬を飼わないのかと旦那さんに問いかける主人公の姿をみて、思わず嗚咽が込み上げた。一瞬にして、私は今から愛する人を置いて行かねばならない人の立場にいたのだ。今までは置いていかれる人の立場で物語を捉えて、自分の家族や友人との死別の記憶を思い返して泣いていた。だが、今回は違った。初めてだったのでひどく戸惑った。2人の関係性が愛おしくて愛おしくてたまらなかった。鑑賞者の私と映画の中の2人の付き合いはたった数十分なのに。

結ばれた2人が揺れながら、私たち古い靴下みたいねと笑い合っていたシーンは印象的だ。穏やかで、そこには丁寧な生活や暮らしがあった。燃え上がる恋愛よりも、目先の丁寧な生活を一緒に整えられる人がいるといいなと思う。

後悔の塊がいつの間にか透明になっている

 

きっと間も無く、我が家には家族が増える。減り続けた家族がようやくプラスになる。 生き物を再び家族に迎えようと思い始めてからというもの、いつかの後悔の塊がゴロゴロと隙間から出てきてはここにいるぞと主張を始めた。怖気付いてしまって、踏ん切りが付かない。

大切なものに触れることができなくなったとき、残された私たちは大きな大きな後悔とともに日々続いていく暮らしを強いられるということを私は知っている。どうすることも出来ない後悔の念に押しつぶされそうになりながら生きていくあの感じを、再び家族が増えることでまた身近に感じなくてはいけないのかと、まだ迎え入れてもいない家族の亡骸を私はもうすでに腕に抱えて泣いている。

きっと、どんなに一緒にいても、後悔がないように心がけても、終わったら一瞬で崩れ去る。残るのは変えようがない過去だけになるのだ。許すしかない、過ぎた時間のことも自分のことも。

 

新しい家族は仲良くなれるだろうか。母とも仲良くなってくれたら嬉しい。出来るだけたくさん笑って過ごせるといい。 

 

ひか って いた

 

神様なんていないよ 

そう言いながら過保護になるほど大切にしていた

あのバンドの音楽はきっと君にとっては

神様みたいなものだったんだよね

どうしようもないほどに途方にくれた夜 

イヤホンから流れる苦しいほどの愛

もう聞き飽きてしまったそのことばも

今となっては君の優しさだったとわかる

 ひっそりと立てた誓い

あっけないほど脆く崩れていったね

 ため息の合間 わかってた、

君はもう僕の名前を呼ばない

 

からんと音を立てた氷 

汗をかいたコップには君が作った

僕の家のものより薄い麦茶

クーラーは嫌いだから、ってうだりながら扇風機 

宇宙人ごっこ 今は昔

 

 気持ちを前にしてことばが詰まる

嘘になる前に言ってしまいたい

 

ひかっていた

 

どこまでだって、いけるよきみは

 

全く笑わない子供だった、という記憶に支配されて、大人になった今でも自分がよく笑うと言われることに疑問を持っている。 どちらかというと過去に支配されがちで、どうしようもない後悔に殺されそうになることがよくある。 と言いつつ、寝たら大抵のことは忘れて毎朝元気に挨拶ができるのでよくできた脳みそだと褒めてやりたい。 

タンスの中から幼い頃に読んだ本が出てきた。 良いと思った言葉に細い付箋を貼りながら読むのにハマっていたようだ。まるでサボテンのようにトゲトゲになった本を撫でて、埃をはらった。初めて訪れる街の人気のない深夜の駅へ降り立つように目を凝らした。所在ない焦りが、突き動かす。あれもこれも、これまで行った何もかもが不足だったと感じる。そうだ。そうなんだ。あらかじめ決められたものが僕らにはある、けれども、けれどもだ。言いたいことも、やりたいことも、この先どんな名前が欲しいかなんて欲もない。 なんにもないけど、なんにもないわけではない。どうでもいいと言いつつ、全然どうでもよくない。 

狭いな、窮屈だな、退屈だ、と思ってしまうのは、自分の世界が狭いからだ。夏だし、窓を開けるところから始めよう。どこまでだって いけるよきみは。