さあ、どうする

 

日本という国は技術の国で、たくさんの素晴らしい機械が生まれて、私たちが暮らしやすくなるための物がたくさん創られている。 いつからみんな歯車になっちゃったんだろう。 自分の頭で考えるってこと、してる? 本当に? 意思もなく船に乗るなんて、そんなことやめない? 沈むかもしれないのに、私はその船には乗れない。 

 

大好きな写真を、胸をはって好きだという事を躊躇ってしまうのはどうしてだろうってずっと思っていた。今日ようやく答えが見つかったので、このブログを書いています。

始めにも書いたように、日本は技術の国だ。技術こそが良いものとされている。 確かにね、機械とか全然わからないけどすごいと思うよ。機械が精密になって、今まで見つけることが出来なかった病気を見つけることが可能になったり、すごいと思ってる、本当に。 でも私はそこに興味がない。 そう、技術には興味がないのだ。

 

それと写真の話がどう関係してるかって? ここから先は私の固定概念でしかないから、1番私が言いたいことだけど、話半分で聞いて(読んで)ね。そして読んでくれたあなた自身が考えてね。

日本人で写真をやっている人の多くは、カメラが好き その技術が好きなんだよ。だから、写真を見せた時に「どうやって撮ったの?カメラは何?レンズは?」って聞くの。 

それは私が1番聞かれるのが嫌いなこと。 カメラやレンズには興味がないし、見るべき場所はそこじゃない。そんな外側のこと聞いたってしょうがないでしょって思う。

興味がないから私はその質問を投げかけられても答えることが出来ない。 外側だけ見られて、技術がないからつまらない写真だって言われることがすごく怖くて、だから人に写真を見せる行為が全然できなかったんだなって今日やっとわかった。 

「どうしてこれを撮ったの?この作品をなぜつくろうと思ったの?」っていうことに興味はないのかな。 写真のみならず、アートに対しても日本は言語がとても乏しい。 きっと私も日本人だから、乏しいんだろうな。 それでも、そんな私でも思うことがあって、写真っていうメディアを選んで制作してる。

 

きっと誰しもそうだと思うんだけど、つまらないって一言で終わらせて欲しくない。 でも、みんなにわかってもらえるなんて無理だ。置いて行くしかない。

私が私のためにやりたいから、どう思われたっていい って、強く言い返せるようになりたい。 そして求めてくれてる人たちと引かれあって共鳴して、わかってくれる人がわかってくれるだけでいい って考え方になりたい。

 

けど、それはまだ先の話かな。

 

さあ、どうする?