灰色と鈍色

 

どうしても縦書きの文章が書きたくなった。ずっと前からそう思っていたような気もするし、昨日久々に小説を一冊読みきった昂りからなのかもしれない。自分自身でさえも真相はよく分からない、なんてことがたくさんある。一年近く動かさずにいたこのブログを今更何と無く更新しようと思った。もしかしたら今までと同じ様にこの文章も下書きに溜まっていくのかもしれない、と心の何処かで思いながらも書きたいことも話のオチも思いつかずにキーボードを叩いている。

 

昨日は久々に熱を出した。朝、目が覚めた瞬間からこれは風邪だとわかるほどの風邪だった。仕事は休みだったので一日の半分を寝て過ごし、起きている時間はひたすら本を読んで過ごした。私は本屋さんが大好きで、本を買うことも好きだ。お陰でまだ読んでいない本ばかりが積み重なって、本棚の中で順番待ちをしている状態だ。

何を求めて買ったのか、よくわからない本ばかりだ。出会うべくして出会う、そんなまだ見ぬ言葉と感情と対面する為に私は哲学書を買ってしまう。ほう、これですこれこれ、と感心したい。小説を買う理由は、なんだろう。もしかしたら、父が好きだったからとかそういう理由なのかもしれない。幼い頃から大量の本と共に生活をしてきたので、本棚が埋まってないとなんだか落ち着かない。

適当に買った本を昨日は読んだわけだが、特に大きな事件が起きるわけでは無く、アスファルトの上で汚く溶けた雪を踏んで歩く音が聞こえるような小説だった。水の流れのようだった。何も起こらなかったので正直内容を覚えていない。主人公の女が、他人の保険証を盗みながら、名前と住む土地を変えて生活する、まあ大体そんな話だった。何も考えずに読めたので体調不良の日にはうってつけだなと読み終わってから思った。もう二度と読まないかもしれないし、またいつか読むのかもしれない。

 

今日はこれで終わろうと思う。最近知り合った女性がものすごく好みの文章を書いていて、妬ましい気持ち半分、宝物を見つけたような満たされた気持ち半分で端から端まで読んでいる。彼女は私のことを純粋だねと言った。いつだったか、大学時代の友人に私の書く文章の純度の高さを指摘された事を思い出した。いいことなのか、それはただの幼さなのか、いまだにわからない。その純度を今の私が持てているのかもわからない。その時私は彼女に「私、べっこう飴みたいになりたいの」と言っていた。べっこう飴は溶けると濁った色に変化して輝かなくなるということを、あの頃ポケットに詰め込んで溶かしてばかりいた私に教えてあげたいとふと思った。