白々しい

 

生きているという実感をどこで得るのか。 私は自分自身の言語が言葉ではなくなった瞬間に、心臓が動く感覚がする。ああ、生きているなと思うし、これが私であると自分自身のことも認識する。だから芸術が好きで、そばにいたいと思う。

言葉を扱うことは好きだ。意図しない方向にひとりで歩いて行ってしまったりするところも含めて愛おしいと思う。と同時にやはり言葉を扱うということはとても難しく、わたしには到底扱いきれないと思う。魔法みたいだ。話せば思っていることが伝わる、なんてことはきっと嘘で、他人の言葉の意味が、そこに含まれる意図が、正確にわかることはないのだろう。汲み取るということがきっと私たちには大切だ。

結局、芸術でも生活でもなんにせよ言葉は大切で 切り離せないものだからこそ、適切な言葉を使えるようになりたいと思う。 この話をすると、やはり写真は芸術になるのかという話をしたくなる。現代における写真とは、そもそも芸術とはなんなのか。藝術 アート 言葉でみるとなんだか仰々しくて苦手だけれども、この話で夜通しお酒を飲んでいた学生時代がひどく懐かしく思う。話がしたい。足りない日々だ。